沿革
昭和5年4月 |
兵庫県川辺郡猪名川町の創業者住野国松は大阪市に住野化学工業所を設立し染め付け顔料の製造を始める。 |
昭和10年9月 |
大阪市より兵庫県川辺郡猪名川町に工場を移転、社名を猪名川顔料製造所に改める。しかし、太平洋戦争中、資材統制化で事業所を一時閉鎖。 |
昭和22年4月 |
初代社長住野光夫が猪名川顔料製造所を再開し、レーキ顔料バイオレット、ローズの製造を始めた。閑静な環境と猪名川の清流を得て高品質の顔料を目ざすことを立地の条件としてこの地が選ばれている。なお本所在地は初代社長の父祖伝来の地でもある。 |
昭和31年8月 |
大阪市都島区に都島営業所を開設し物流の便を図る。 |
昭和36年1月 |
社名を猪名川顔料株式会社に改め払込資本3,000万円となった。また同時に都島営業所へ本社を移転。 |
昭和45年初期 |
樹脂型インキの急速な進歩と共に顔料の易分散化が求められるようになり、顔料の改良研究を進めるかたわらプレスケーキよりフラッシュドベースインキを製造するためフラッシャーなどの設備を大幅に導入し、その技術を確立した。 |
昭和50年3月 |
バイオレットレーキ顔料の需要増に伴い顔料工場を改築し、設備の更新を図る。また環境保全設備の更改向上に一段と努めた年でもあった。 |
昭和52年3月 |
都島本社屋を倉庫に転用し、猪名川町工場所在地に本社を移転し、同時に研究・開発部門の充実を進めた。 |
昭和58年3月 |
加工生産品目の増加に対処するため加工棟を増築し、顧客各位の要望にお応えできる体制を備えた。 |
昭和61年1月 |
東京都千代田区岩本町に東京出張所を開設。 |
平成7年9月 |
より良い製品造りと水不足解消のため、井水改質処理設備を導入した。 |
平成10年1月 |
将来的な生産増加と製造コスト削減をする為に、顔料工場を建て替え、反応桶を3倍仕込みにした。 |
平成12年8月 |
排水処理施設の改造(担体流動床導入) |
平成13年6月 |
新たな柱として、最終インキまで仕上げる設備、技術を取得し、製造している。 |
平成15年6月 |
東京都中央区日本橋小伝馬町に東京出張所を移転。 |
平成18年9月 |
初代社長住野光夫が会長に就任し、住野敦浩が2代目社長に就任。 |
平成19年7月 |
ホームページを開設。 |
平成21年5月 |
中央区日本橋茅場町に東京出張所を移転 |
平成22年4月 |
創業80周年を迎える |
平成23年1月 |
設立50周年を迎える |
令和2年4月 |
創業90周年を迎える |
令和3年1月 |
設立60周年を迎える |
令和3年11月 |
東京出張所を閉鎖 |